本音で向き合ってくれるという有り難さ

相手にとって都合の良いこと、気分が良くなること
そういうことは、どちらかというと伝えやすいと思います。


しかし、相手のためだとしても
知りたくないであろう都合の悪い情報だったり
気分を害するかもしれない内容などは
とても伝え辛いように思います。


でも、それを乗り越えて
伝えてくれる方がいることって
本当に有り難いです。


なぜなら、一人では気付くことができない自分のことを
本音で向き合ってくれる方のおかげで
はじめて気付くことができるからです。

雑談力

自分には雑談力なんてありません。
談笑中、話しについていけてない事も良くあります。
しかも自分で口下手だと思っています。


でもそれを人に告白すると
「え?凄く得意そうに見えるけど?」と言われます。


雑談が出来る人、出来ない人というのに
基準とかって無いのかもしれません。


雑談をすることに関して、大切にしていることがあるとすれば
心から相手に対して興味を持つことを大切にしています。
興味は持とうと思えばいくらでも持てるし、そうすれば
いくらでも相手のことに気付けて、話の種が尽きないように感じます。
逆に、興味を持たずして雑談する場合は、相手が誰であれ
社交辞令としての雑談になってしまうように思います。


ですので、自分にとっての雑談力とは
「相手に対する興味力」と考えています。

ラクに生きる

自分は、無理せず、ラクに生きているように思います。


生きているとストレスに感じることもあるし、辛いこともある。
でも、気付くことが楽しいし、感謝することを忘れないことで
色々なことが「ラク」になっているように感じる。


もちろん、気付けてないこともたくさんあるし
自分に感謝が足りていない場面も多々あって、反省することばかりですが
気付くこと・感謝することは、荒行でもなんでもないし
幸せになるためのこと。


それって、幸せになるためのことと、ラクに生きることを
同時に出来ているように僕は思います。

人間関係はコントロールしない

人間関係はある程度コントロールできるかもしれない。
でも、コントロールしてしまったら
人間関係ではなく、人間制御になってしまう。


相手に合わせることが人間関係ではないし、
相手を支配することが人間関係でもない。


相手を避ける・避けないが人間関係ではないし、
自分が理想とする結果を得ることが人間関係でもない。


相手にとって、この人間関係がプラスかマイナスかは
自分が決めるのではなく、相手が決めるもの。


好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、と
主張することこそが、実は相手にとってプラスだったりする。

陰口はバレるもの

陰口って声に出しても、文字にしても
結果的にバレるもの。


何かの拍子に聞かれたり、見られたりするし
結局知られたくない人にバレてしまう、というケースを
いくつも知っています。


聞かれたり、見られたりしなくても
陰口が顔に書いてあるからバレるということもある。
陰口に良いことは無いってことです。

仕事を仕事とだけ考えない

仕事を仕事とだけ考えるのは違うと思う。


人生の大切な時間を
大きく使っているのに


・食わんがため
・お金のため
・目の前にある作業
・やらないといけないから


仕事がそれだけのためでしかないなら
「気付く」ということに弱くなってしまう。
豊かにできるはずの人生を自分で貧弱にしている。


自分にとって仕事が仕事だけでなく何なのか
真剣に考えて自分の答えを見つけないといけない。